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ウソップたちが呼び止めたのは、どこから見ても麦ワラの親分としか言いようがない風体の少年だったが。何とも珍妙な受け答えをしたことから、これは絶対に本人じゃあないと断じた上で。とりあえずちょっと来いと、その身を引っ張って行ったのが。丁度間近にあった、大きめの橋のたもとの、お地蔵様のお堂の裏手。植えたばかりでまだまだ若い柳の陰であり、橋が緩い弧を描いているのを支えるところ、最初の橋げたに間近い辺りが、微妙に窪んで傾斜(なぞえ)になっているのが、通りからは少し遠いし人目にもつかないのでと。日頃からも、見回りや張り込みの引き継ぎに、よく使われてもいる場所であるらしく。そんな引っ込んだ場所ではあるが、まだ昼前という時間帯なので暗くはなく、相手のお顔もよく見えて。
「この手の顔が、そうそうあちこちにあるとは思い難いんだけどもなぁ。」
「そうと思いたい気持ちは判るけど。」
まとまりの悪い黒髪は少しほど猫っ毛で、大きなドングリ眸にちんまりと低い鼻。表情豊かな口に、それはゴムのせいじゃなかろう ふっかふかの頬と、いかにも幼い丸ぁるいおでこ。そんな童顔の上へ屈託のない笑みを絶やさずにいて、人懐っこい気性をしていることがようよう判る。蚊トンボみたいな細っこい腕や脚に、十代の少年ならではな きびきびとした軽やかな身ごなし…なんてところは、いかにも無邪気な少年という要素だってだけに収まらずのそれだし、面差しや体格などなども そりゃあよく似たお人で。ただ、
「目尻の傷は書いたものだし、髪からは上等な髪油の匂いもするし。」
よくよく見やれば微妙に違う。口許の笑い方も、ご本人の本当の笑顔ではなかったらしく。ニコニコしている方ではあるが、こんなにも横へ口の端を引っ張っちゃあいないのだとか。
「うむ。練習をして身につけた。」
顔の真似だけでも結構疲れるものだなと、頬を両手で挟み込むようにしてさすさすと撫でている様子がまた。この状況だってのに、他愛ないというか無邪気というか。
「この状況?」
「だからっ。お前さんは選りにも選って“岡っ引き”になりすましていたんだぞ?」
階級的には非公認のそれで、正式なお役人じゃあないのではあれど。お上の関係者には違いなく、そんな肩書とお顔や名前も皆様に広く知れ渡っている有名人。なので、そんな立場を使ってどんな場所へも疑われも警戒されもせずに入り込めるし、ちょっとした無理だって利くかもしれない。
「無理が利く、とは?」
「大店の蔵へも、盗まれたもののご詮議だって言って入れるし、
お調べのために要るからって嘘ついて、
物やお金を融通させることだって出来るじゃないか。」
「おお、そうか。」
感心したように、ポンッと手を打つ偽者さんなところもいかにも天然。そういった世の道理や融通を何にも知らないってところは、本物の親分とも通じるところが大きにあるが(こらこら)、
「なんてのかな。物腰がちょっと…。」
「うん。」
こうして、彼にしてみても見ず知らずの相手に引っ張って来られても、動じてもなきゃ慌ててもない。そうまでも、大それたことをしているという自覚がないのだろうか?
「天真爛漫にも色々あるからなぁ。」
「うん。こっちの親分は世間知らずだからって感じがする。」
自分のことを“余(よ)”なんて言うのは、随分とやんごとない身分の人じゃあなかろうか。だとすれば、どんな状況にあっても及び腰にはならない…というのが微妙に頷けもするし、
「言いたかないが前例があるしなぁ。」
そういうご身分の方が市中へ紛れ込んだという、芝居の筋立てのようなことが(…)、以前 既に本当に起きてる藩でもあったりする。ただ、そんな場合は、どんなに頑張っても所詮は世間を知らない若様や姫様では、どこかで護衛の人間を出し抜けはしないから。結果的には、一人でうろうろさせるような無様はしない。
「だから、誰かがどっかから見守ってるもんだけれどもな。」
そ〜かぁ〜? 案外と隙ってもんがあっての、楽勝で抜け出せるってこともあるんじゃね?と、相手によっては非常に失礼な物言いをしているウソップへ、
「だってさ。」
チョッパーがいやに強腰で断言したがるのには、それ相応な理由があるらしく。
「この着物は親分本人のだ。」
だからチョッパー先生も、会話がおかしいという流れになるまではルフィ本人だと疑いもせずに接してたほど。
「それってホントか?」
「ああ。」
でも、だからどうだってんだよと。まだ意味合いが判ってないらしいウソップへ、
「だから。ルフィ親分も…納得してかさせられてか、巻き込まれてるってこった。」
「え?」
不意な声が割り込んで来た。その事実へ“え?”と驚いたように肩を跳ね上げた、下っ引きの青年と町医者の二人がそろって振り返れば、
「本人と接触した上で取り上げてるって事だろが。攫ったんだか言いくるめたんだか、そこまでは判んねぇがな。」
日頃からも恐持てでいかめしいお顔を、ますますのことしかめておいでの、墨染めの衣をまとった人物が、橋の側の傾斜の上に立ちはだかって こちらを見下ろしておいで。市中を練り歩き、辻々で読経を納める託鉢で食いつなぐ、諸国行脚の雲水とか、土地によっちゃあ“ぼろんじ”などとも呼ばれる流れ者のお坊様。確かゾロとかいうお名前の坊様が、いつの間にやら彼らの背後へ近づいており。交わされていた話の方もしっかりと聞いていたようで。
「…だったらどうなるんだ?」
相変わらずに正体不明のお坊様で。胡散臭いがその一方、鉄砲弾で無茶ばかりするルフィ親分を陰ながら助けてくれてもいるお人。それが口を挟んで来たので、この際はとウソップが水を向ければ、
「この隙だらけの坊主があの親分を言いくるめたとは思いがたい。」
おおお、いきなりの一刀両断ですか。まま、市中徘徊ののっけから、こうして怪しいと取っ捕まってるくらいですしねぇ。それなりの切れ者だったなら、も少しそれらしい芝居をして見せるはず。いくら変装をしているといったって、誰とひょっこり出会うか判らない市中へ出るなんて、危ないにも程があり、
「誰ぞが見張っているのだろ? なあ、坊主よ。」
「坊様はお主のほうではないか?」
キョトンとしつつ応じた親分のそっくりさんの、何とも即妙な言いようへ、
「〜〜〜〜〜っ。」
「わーっ! 判った判った、あんたのお怒りは俺らにはよーく判ったからっ。」
「そ、そうだぞっ。ここは一つ、押さえて押さえて。」
何たって今ここにいないルフィ親分の、その身に関わることかもしれないからということか。はぐらかしてんじゃねぇよという憤怒を込めてだろう、その頭上へまでとの勢いよく、頑丈そうな錫杖を振り上げたお坊様を。ウソップとチョッパーで左右から引き留めたその間の絶妙さへと、
「おお。そちら、なかなかの腕と見た。」
その坊様の気迫の鋭さには並々ならぬものがあったに、それをすんでで留め置くとは、と。そのままだったら仕込み刀の露になりかけてた張本人が、見事じゃあっぱれと、
「手放しで喜んでてどうしますか。」
おおう、またまた横からの割り込みが。今度は誰だとそっちを見やったウソップだったが、その目元へとどこから伸びたものだろか、きれいなお手手が目隠しをし、
「え?」
「あれれ?」
似たような戸惑いの声がして、どうやらチョッパーも同じ目に遭っている模様。そんな二人の鼻先へ、ふわんと香ったのは甘い甘いお花の匂い。何だろ、ああお花かぁと、把握するのと入れ違い。その意識が とろ〜りと蕩けて、お互いへもたれ合うようにし、その場へくたくた崩れ落ちる二人であり。そして、
「…俺には不要か? その“人払い”がよ。」
何が、いやさ“誰が”襲い来たのかを、既に承知ならしいゾロが、地に這うような低い声を放った先。川へとかかる橋の真下の薄暗がりの中から、滲み出すよに姿を現した存在が一人。アヤメかショウブか今時の花を染め上げた、濃色の小粋な和装をまとった黒髪の美女が一人。特に悪びれることもなく、嫣然とした笑みを浮かべて立っており。
「ロビン殿。」
そんな彼女へと、真っ先に名指しで声をかけたところを見ると。こちらの、親分そっくりのやんごとなきお方を、陰ながら見守るお役目を担っていたのも彼女であるらしく。市中にちょくちょく姿を現すこの女性は、だが、実は一般人ではないこと、先から知っているゾロとしては、
「ここの藩主が手を貸すほどの、相当な身分の御方だってか?」
彼女が現れたというだけで、そこまでの裏がすんなりと読める。自分の傍らまで、ぱたたと駆け寄って来た親分そっくりの少年を、柔らかな笑顔で迎えた謎のお姉様もまた、
「ええ。」
否定はせずの頷いて見せ、
「でも、表立っての助力は出来ない。そんな微妙なお相手でね。」
「…ってこたぁ、将軍筋じゃあねぇってか。」
幕府に痛くもない腹を探られるのも剣呑と、そんな建前があっての控えめな助力しか出来ぬとなると…と。錫杖の先でおでこの縁をとんとんと、軽く叩いたゾロが にぃと不敵に笑い、
「そうか。他藩の若様か。」
京の公家にしちゃあ、天真爛漫ながらも足さばきやら体さばきが きびきびし過ぎ。それなりの武術のお稽古もこなしていればこそだろうから。そうともなりゃあ武家の子で、且つ、こちらの藩主が大上段からの采配を一気に下さずの、こっそり手を貸すということは、微妙にその支配の及ばぬ身のお人ということになり。
「この藩への嫡子の遊学ってのは特に珍しい話じゃあない。」
内乱もなく飢えさせもせず、そりゃあ豊かな藩(くに)を穏やかに治め続けている、徳の高いネフェルタリ・コブラ様の治政を見習いたいとする藩主は多く。その嫡子や家老筋の子を、幕府からの特別な許可を得ての越境させて、遊学させている他藩は多い。幕府からの許可がいるのは、藩同士が結託し合うのを恐れる中央筋から、謀反の気配ありやと疑われぬようにという、前以ての届け出のことであり、
「そうね、そういったことを監視するのもあなたのお務めですものね。」
駆け寄って来た若様を、そっと自分の背後へ庇ったのは、その辺りからを咎められての直接問い詰められては困るからか。それでも…あくまでも余裕の淡々とした口調で語り続けるロビンであり、
「幕府筋の人から見れば、
穏やかならぬ藩があるなんて、放っておけない話かもしれないけれど。
でもね…。」
「そんなこたぁ知ったこっちゃねぇさ。」
おいおい、人の話を遮っちゃあいかんぞ。それに、そんなこたぁって、あなた。何よりも優先せねばならぬ次元のことだろに、そんな風に一刀両断してしまったお坊様、いやいや実は幕府の放ったお庭番殿であり。
「どう言いくるめたのかは知らねぇが、
武家でもなけりゃあ役人でもない、
そんな岡っ引きの親分を、どんな危険へ晒してんだか、
今すぐの此処で、きりきり吐けって話だよ。」
先程からの低いお声を尚のこと低めて。牙剥き唸る、肉食の獣よろしく、それはそれは迫力込めての凄んで見せたゾロであり。
「うあ…。」
ロビンの背後へと庇われた、随分と天真爛漫だった無邪気な若様が。思わずのこと、その手でお姉さんの着物の袂を握りしめ、これは怖いと身をすくめてしまったほどである。
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*今回は早い目に出てきたお坊さまですが、
その分、風雲急を告げてるような?
まだまだ謎解きは先ですよんvv


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